大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大分家庭裁判所 平成9年(家)688号 審判

申立人 秦洋子 外1名

主文

申立人らの本件申立てを却下する。

理由

1  申立ての趣旨

本籍大分県大分市○○×××番地筆頭者秦洋子の戸籍中、筆頭者氏名欄の氏が「秦」とあるのを、「」と訂正することを許可する。

2  申立ての実情

(一)  申立人らは、平成9年8月2日、婚姻後の夫婦の氏を妻の氏とする婚姻届を大分市長に提出し、大分市長は、同日、上記婚姻届を受理した上、妻洋子を筆頭者とする新戸籍を編製し、その際、申立人らの氏「」を「秦」と訂正して記載した。同月4日、大分市長は申立人らに対し、「法務省通達に基づいて上記新戸籍には「秦」と記載する。」旨の通知をし、その後、申立人らの求めにより、大分市市民課長、同戸籍係長及び大分地方法務局が上記氏の訂正記載の根拠等について説明した。しかし、申立人らは、上記説明に納得がいかず、同月22日、大分市長が申立人らの(新)戸籍の筆頭者氏名欄に申立人らの氏を「秦」と訂正記載したのは不当であるとして、戸籍法118条の「市町村長の処分に対する不服申立て」をするに至った。申立人らは、上記訂正前の申立人秦洋子の氏「」の字画は明らかであること、申立人秦洋子は先祖代々今日まで由緒ある氏として「」の字を使用してきたし、今後も申立人らの氏として「」の字を戸籍上も日常生活上も使用していくことを望んでいることを、その理由とし、また「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し、特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものと言うべきであるから、人は他人からその氏名を正確に呼称されることについて不法行為上の保護を受ける人格的な利益を有するものというべきである。従って、大分市長がした本件戸籍記載は、申立人らの人格権の侵害である。」旨主張した。

なお、申立人らは、「一片の通達で「」の字を戸籍から抹消することは申立人らの人格権の侵害である。」旨の主張もしている。

(二)  申立人秦和男は、平成9年10月16日の当裁判所の第1回審問期日において、申立人らの「本件市町村長の処分に対する不服申立て」は、戸籍法113条が定める「戸籍訂正の申立て」に変更する旨述べた。

3  当裁判所の判断

(一)  本件記録及び申立人秦和男の審問によれば、上記2の申立ての実情に記載した事実及び以下の事実が認められる。

申立人秦洋子は、本籍大分県大分市○○×××番地父敏哉と母俊江との間に、昭和48年8月7日、長女として出生し、今日まで洋子と名乗ってきた。申立人秦和男は、本籍大分県大分市○△××××番地×父畠山進一と母百恵との間に、昭和43年12月20日、長男として出生した。

なお、申立人らは、当初、戸籍法118条の不服申立てをしたが、後に、戸籍法113条の戸籍訂正の申立てに変更したので、以下、変更後の「戸簿訂正の申立て」につき判断する。

(二)  戸籍法113条は、「戸籍の記載が法律上許されないものであること又はその記載に錯誤若しくは遺漏がある」場合に、戸籍訂正が許可される旨規定している。

そこで、「」の字を「秦」と訂正記載したことが戸籍法113条所定の法律上許されない違法なものであるかどうか及びその(訂正)記載に錯誤若しくは遺漏があるかどうか並びに訂正記載された氏「秦」を訂正前の氏「」に訂正する利益があるかどうかについて検討する。  (三) 戸籍は、日本国民の親族的身分関係を登録・公証する公簿であるから、戸籍の記載に用いる文字は、国民一般に通用する正しい表記の文字を用いるべきものである。

ところで、文字には、常用漢字表などの公的裏付けのある文字及び漢和辞典等で正しいとされている文字(以下「正字」という。)、慣習により用いられている俗用の文字で漢和辞典等において俗字とされている文字(以下「俗字」という。)及び文字の骨組みに誤りがあり、公的な字形とは認められない文字(以下「誤字」という。)があるが、現実には、戸籍事務担当者の書き癖等から戸籍にその氏名を誤った字体(「誤字」)で記載したものが存在する。上記のような理由等から氏名が誤字で戸籍に記載された場合であっても、その戸籍は、公簿として、記載された誤字という表記の字体あるいは字形を公証しているのではなく、当該誤字に相当する正しい表記(正字)により特定した氏名を公証しているのであり、戸籍に記載された誤字を正字に訂正することは、表記を国民一般に適用するもの(正字)に改めることで、これが氏名の変更に当たらないことはいうまでもなく、誤字を正字に改める(訂正する)ことは、戸籍法が要請していることでもあるのである。

また、個人の氏名は人格権の一内容をなすと解するのが相当であるが、人格権の一内容をなすのは、上記のとおり誤字による氏名ではなく正字による氏名であるから、職権により誤字による氏名を正字による氏名に改めることが人格権の侵害になるという性質のものでもないのである。

さらに、上記の戸籍の法的性格からすると、戸籍に記載されていた誤字による氏名を今日まで使用してきたこと、今後も誤字による氏名を使用していくことを望んでいることをもって、訂正記載後の正字による氏名を訂正記載前の誤字による氏名に訂正する法律上の利益があるとは認め難いものである。

(四)  申立人秦洋子の婚姻前の戸籍上の氏「」は、漢和辞典に正字又は俗字として登載されていない文字であるから、これはいわゆる誤字である。

そうすると、戸籍法及び戸籍事務取扱上は、申立人秦洋子の婚姻前の戸籍上の氏「」は誤字であるから、これを正字である「秦」に改めなければならないことになるが、戸籍事務の取扱いでは、そのような場合、申立人らの婚姻届により新戸籍を編製する際に、職権で、新戸籍には正字による氏「秦」を記載することになるのである。

したがって、大分市長が申立人らの婚姻届に基づき新戸籍を編製した際に、申立人らの氏を誤字である「」から正字である「秦」に訂正記載したのは、正当な戸籍事務取扱いであり、本件戸籍の記載に戸籍法113条が規定する違法は認められず、また、その記載に同条が規定する錯誤もしくは遺漏も認められない。

さらに、上記(三)に述べたとおりであるから、本件訂正記載が申立人らの主張する人格権の侵害に当たらず、また、訂正記載した申立人らの氏「秦」を訂正記載前の氏「」に訂正する法律上の利益も認められない。

なお、その余の申立人らの主張については、判断しない。

そのほか、本件全証拠によるも、戸籍法所定の事由を認めることはできないし、他に戸籍上の申立人らの氏を訂正すべき事由を認めることもできず、申立人らの主張は理由がない。

(五)  よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 山浦征雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例